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ベトナム7日目〜ダウン〜 
朝目覚め、同室に「気分結構よくなったし、下がったかな♪」と言いながら熱を測ると

39.5度

で笑うしかなかった。

パーカーメガネマスクで朝食へ。給仕の兄ちゃんガン見。
白人が多い。エレベーターで白人の老夫婦に熱があるのかとジェスチャで聞かれる。

再びうとうとする。熱でしんどくて寝つきが悪い。腕と足がたまに誰かに押さえつけられてるみたいに重くなる。人生でもかなり重いほうの風邪だなぁ…と朦朧と思う。
高3の受験間近のとき以来の消耗戦だ。つか私日本帰れるのか。飛行機には今日乗る。
「アナタ熱アルカラダメ」とゲートで止められる自分をありありと想像する。

今日はホーチミン観光だったのだが、クチトンネルに行くことを最大の楽しみにしていた私はベッドの中である。うう。
昼ごろ引率さんがベトナムのコンビニでパン買ってきてくれた。日本でも売ってそうなパン。オレオもあったので食べるが、日本のと違いなぜかかなり塩辛い。
なぜお菓子まで辛いのか。
その後薬を飲むとすごく汗をかき始める。治り始めかと思ったがまだまだ快調とは程遠い。
医者の卵さんが戻ってきてオレンジを剥いてくれる。
彼女談:「コロンビア病院の日本語が少しできる付き添いさんが、半日観光のガイドだったんだけどね、『昨日の子大丈夫?』って聞かれたからまだ熱があるの、って言ったら
いきなりものすごく舌打ちし始めて、何を怒っているのかと思って仰天した」
悔しさをあらわすジェスチャらしい・・・

医学生の子(別の人)がアイスクリームを買ってきてくれた。冷たくてとても美味しい。
皆が私のために自分の買ったお土産をベッド上で売買してくれた。
医者の卵さんが特に「夜彦ちゃん、ベトナムのコーヒーすごく好きって言ってたから…」とコーヒー豆買って来てくれたのがすごく嬉しかった。

なんとか9時20分に空港へ。空港で少し買い物。
11時40分ころ飛行機に。なんとか乗れた。
リクライニングがなく、足も伸ばせず全く眠れなかったため、
もうねるまいと腹くくったら本当に一睡もできなかった。
朝5時頃機内食。7時頃日本へ。



8日目

機内で書いた健康に関する質問票を空港の検疫で見せると「あちらの健康相談室に行って下さい」といわれやはりな…と思いつつ向かう。
またしても空港で日本に入れない自分がまざまざと脳裏に浮かぶ。
いくつか質問をされて(「犬や鶏に触っていないか?蚊にかまれたか?」)熱を測ってもらった薬を診て貰って病気の注意の紙をもらっただけだった。ようやっと日本へ。

その日にかかりつけの医者に行くと
「そうとう無茶したんでしょ、本当に白血球が病気の状態になってるわよ」と
笑われた。

結論 次はヨーロッパがいいです・・・
| ベトナム記 | 17:47 | comments(0) | -
ベトナム6日目〜朦朧〜 
14個の屋根の穴からさしこむ光(笑)で起きる。眠りは当然浅い。
ござが床なので腰も痛い。起きてから散歩。景色がやっぱりいい。
が、昨日の名残か喉や頭が痛い。朝はフォー(ビーフ)一杯。このくらいで丁度いい。
その足で喫茶店にコーヒーを飲みに行く。コーヒーというよりはチョコ。ベタ甘い。
トイレを貸してもらったがやはり水周りがいいとは言いがたい。
だるさが本格化してきたのでツアー引率者さんに休みたいと言うと彼のステイ先に案内してもらう。寝室は蚊帳がつってあるもののベッドつきで我々のステイ先の数倍は清潔だ。
熱を測ると意外に

8・7度

と高熱だったのでフエの病院に行くことになる。ひとりで先にフエへ戻る。
タクシーで病院に。点滴を受ける(この針大丈夫かなぁ…と思っていた)
最初に名前や生年月日を聞かれて、生まれた場所を聞かれて「広島」と応えるとサポートみたいな兄ちゃんが「ヒロシマ?」と聞いてきた。
力なくうなずくとにやりと笑って「ヒロシマ・・・ナガサキ・・・」と呟いて去っていった。なんなのだ。というか知ってるのか。

ステイ先とのギャップかもしれないが綺麗だなーと病院に対して思う。フエでは最新の設備のとこらしい。でも日本だったらきっとまず行かないけど。
隣のおばちゃんが吐いていた。点滴中、日本語学校の先生(付き添い)が色々話しかけてくれたが、
「マグロト、コドモガ ノッテキマス」 「そうですか・・・」
ってなかんじでちんぷんかんぷんだった。

点滴後少し回復。皆が昼ごはんを食べてるところへ合流。ホーチミン行きの飛行機に乗る。
さすがに飛行機にも慣れて以前ほどの恐怖感はない。乗ってて心地良いとすら思うが、今自分がどのくらいの高さにいるのか考えたら「…うん!!」と考えるのをやめる。

ホーチミンに二時間程度で着く。バスに乗る。とにかく早く寝たい。
ホテルは市内から離れていたが今までで一番豪華。ソファやテーブルがある。
すごく眠かったので昨日入ってない分お風呂に入りたかったがばったりと布団にもぐりこむ。

…眠い?いや、これだるいじゃないか?

どんどんだるくなっていく気がする。いや、でも点滴受けたしなぁ…
あれーと思いつつもベッドのすぐ下にあるかばんの中の水を取ることもできないほど辛くなってやっと
あ、これあんまり良くないぞ、と気づく。
ルームメイトはあそびに行ってて不在。携帯なんか使えない。呼びに行くのも辛い。
ここで初めて猛烈なホームシックに襲われてひとりで泣く。

二時間くらいして友人が戻ってきて変わり果てた私を見て仰天。
理学療法士志望なのでか慣れた手つきですぐに抱え起こして水分をとらせてくれ、
呼んだらしい医者の卵のツアーメイトの方と引率の人がかけてきた。
再び医者へ直行。タクシーで向かう。コロンビア国際病院というところで日本の保険会社と提携しているらしく、後から見たらガイドブックにも乗っていた。
すごく大きくて清潔な(これはお世辞抜きで)病院。医者の卵さんいわく「アメリカ式でとてもきちんとしている」らしい。
日本語がほんとに「少しだけ」できる医者と英語と日本語ベトナム語ごっちゃ混ぜで会話。
風邪と診断。薬を出され解散。保険が利くらしいと電話口で日本の保険会社の人に色々言われたがその頃保険の仕組みを全く理解していなかったためさっぱりわからなかったがとりあえず保険に入っていたのでキャッシュレスになったらしい。色々書類を書かされた。
保険入っておいて良かった・・・

帰るときベトナム人のガイドさんにベトナムのお粥を大プッシュされ、持って行くとまで豪語されたが、届いた夕食は白米と果物でウケた。
ルームメイトのつくってくれるスポーツ飲料をぐいぐい飲む。かなりありがたい。
| ベトナム記 | 17:35 | comments(0) | -
ベトナム5日目〜忍び寄る影〜 
今更続編ベトナム記。
ずえっと気になってたから…
いや、ほんとにね、遅いけどやるんだよ、やるときは。(汗)

6時30分起床。8時頃バスで出発。今日一発目は障害児施設の平和村。
2〜5歳くらいの子ども一人につき一人〜二人女の人が世話をしているといった感じ。
左目の赤く腫れた赤ん坊に近づいてみる。少女がブロックであやしていた。指差し会話で会話。
少女は20歳。同い年だった。男の子は2歳。少女の甥らしい。
甥は足が悪いそうで、足マッサージをしていた。なんだか静かな時間の中で、私は人生の一部を甥に費やす少女のことを考えた。どう思っているか聞きたかったけど無理。

いったんホテルに戻って休憩。フエ観光へ。
いきなり現れた謎のおじさんに案内を受ける。王宮とティンム寺を見る。暑くてなかなかシビア。今まで過保護なくらい大事にされていたのにいきなり「若いでしょ!」で済まされる(笑)物売りが多い。なんだか沖縄のような感じ。中国文化の影響かしら。
ドンバ市場にておみやげを買う。値引き交渉もした。できてるのかはわからんが。
出口がわからなくなりさまよっていたらおばさんが「ナニヲオサガシデスカ?」と聞いてきたので「出口!」と日本語で絶叫したら「マッスグ!!」と言ってくれ無事出ることができた。

昼ごはんは初めて一人ひとりオーダー形式をとった。お通しの揚げた肉まんみたいのがパンみたいですごくんまー

ホームステイする村へ移動。静かな農村みたい。
家の人に挨拶したあと散歩へ。男の子に駄菓子屋のようなところに連れていかれる。
おばあちゃんが果物のようなものをナイフで切り取ってくれた。受け取るとオレンジ色のつぶつぶを手に乗せて差し出してくれる。つけて食べるとしよっからかった。
後にマンゴーに塩をつけて食べたらしいことが判明。青臭いが美味。

ボートで川くだり。乗る前に船から水をかき出していて本気で不安。
最初は怖いばっかりだったが慣れてくると風や田園風景に目がいくようになる。
綺麗だ・・・と思っていたら私のすぐ背後で「バキッ」と木がわれたような音がして、「あ、この船沈む」と確信したが美辞だった。
途中岸辺に白人団体がいて、先に進む船に乗ってたグループからドイツ人らしいという情報が入っていたので「Ich bin STUDENTINNNNNNNNNN(私は学生でーす)」と絶叫してみる。

6時半にご飯。家庭料理で、味付けもあっさりしていて美味しい。全てからいが。
家に戻る。その家の子どもが二人と、別の家の子が一人。
皆当たり前のように他人の家にいるので誰が家の人で誰が客かさっぱりわからん。
子どもは総じてデジカメをいじりたがる。謎の撮影タイム。
そこのみ設備が別格なDVDプレーヤーとTVでベトナムの歌手のPV(こうやって別の国の歌手がかっこつけて歌ってんの観るのは、正直こっけいだ…)観ながら異常なテンションで踊る。
そこの幼い兄妹は二人ともダンスが上手だった。
追いかけっこにうつり、疲れると折り紙やPV鑑賞にうつる。
次男坊と会話していた。ハート形に折った折り紙をあげるといういっちょまえなことをする。日本に行きたいと言っていた。
指差し会話は必須だ・・・と思った。

どうものどががらがらで体が限界だったので一足先に二階へ避難(「あいつ逃げた!」と言われていたらしい(笑))メイク落としや歯磨きをしたくて洗面所を探すがないらしい。トイレも洋式だが水が流れない。くみ上げ式らしい。あのDVDプレーヤーとの格差はなんなんだ。なんでトイレを綺麗にしないであれをまず買うんだ。
必要と感じるものの違いなのか・・・正直トイレも入れたものじゃなかったがメイクだけは落とさねばと思ったのでふきとりシートを持ってくるべきだったと思いながらトイレについていた蛇口で顔を洗う(ちなみにほぼ真っ暗)。一人が「それ、もしかしてさっきの田んぼの水かもよ」と言うのであの泥水か・・・とさらにげんなり。
寝る場所も蚊帳で、天井に穴があいてたりで、どうやら泊まった家の中で最低ランクだったらしいが貴重な経験ができたというかステイしがいがあるというか(プラス思考)

ルームメイトが「あたしらがお金払ってるから皆優しいんだよね」と言っていた。

私以外の二人は子どもが本当に好きで仕方がないようで、扱いも慣れていて子どももすぐに二人に懐く。私はそれにおいていかれまいとひっしだった。
こちらに来てから非言語コミュニケーションや雰囲気の重さが身にしみる。
| ベトナム記 | 17:16 | comments(0) | -
ベトナム四日目〜ウルルン〜 
7時起床。朝食を食べているとホテルの人が話しかけてくる。(日本語で)
途中から英語になる。
要約すると「ホテルに3年滞在している日本人に日本語を教えてもらった。私は日本人が好きだから日本人と話したくて日本語を勉強しているが日本語が難しい」ということらしい。
名前は「龍(ロン)」というそうだ。メモ帳にカタカナでロンと書いてくれたが微妙に違っていた。
皆で少し話す。私も「ベトナム語と日本語は全然違うから難しいですね。発音ができません」と言う。
朝食後3人でホテル散策。早速の「シクロー!」。商売っ気丸出しの人もいるし、シクロ乗ってるのに「オハヨウ!where do you go?」とだけ聞いて去って行く人もいるし
「アナタガ スキデエエエエス!」と叫んで去っていく人もいるし(仕事する気あるのか?)ベトナム人はとにかく旅行者に話しかける性分なようだ。
朝ご飯を屋台で食べている人はおおむね静か。(屋台はなぜか皆赤い低い椅子に赤い低いテーブルを使っている。どこで買っているのか。なぜ皆同じなのか。)
アオザイっ子ちらほら。ベトナムでは白いアオザイが制服らしいよ。いいなー

9時出発。子どもの家の子の就職支援工場見学。バイクの修理やらアクセサリーの制作やらやっているらしい。
ベトナムはまだまだ日本や他国の支援を受けているんだ、「発展途上」なんだ。
技術は大体一年で習得できるが途中でやめていく子も多い。
そしてバイクといっても今ではもうほとんどスクーターが主流だから需要がなくなっているようだ。

「だから今急いでスクーターの仕組みや理論を勉強しています。本当に子どもたちの自立を応援するにはいつまでもこの工場ができた2000年と同じ事をやっていてはいけません。常に人々の需要を先取りしていなくてはいけないのです」という言葉が印象に残る。

今も何人か日本に技術を勉強しに行っている。ここのミシンは日本から送られてきていて、アクセサリーの材料も日本からきていて、そもそもこの施設が日本の援助で建ったものだ。
発展途上国ってこういうことなのか。

いったんホテルに戻って少数民族を訪問しに行く。
バスでぼーっとしてたらいつのまにか家がなくなっていて代わりに牛のいる竹やら木やらばっかりの場所になっていた。
子どもの家のボランティアの人とツアーのメンバーが話していて、それをぼーっと聞いていたらボランティアの人がこんな話をしていた。

子どもの家の子どもで『お姉ちゃんはアメリカに結婚して行ってしまったんだ。お父さんは行くなって言って大反対したから、もう何年も会っていないんだ』と言ってくれた子がいて、それを聞いた別の子が『私のお父さんもフランスに働きに行ってるんだ。』と言った。だから「そうか、寂しいね。でもいつか会えるよ。」と言ったら少し悲しそうな顔をして、「本当は皆死んじゃってるの。でも外国に行ってると思うと少し元気が出るんだ」
と言ったそうだ。アメリカ、と言った子は本当はお母さんが死んで、お姉ちゃんが自殺して、お父さんはガンになったらしい。

子どもの家の子はこういう境遇を持った子達の集まりだ。
昔はストリートチルドレンが多かったけど、今はドイモイ政策で拡大した貧富の差で
窮乏した農家の子が暮らしているらしい。
私は私を否定されただけでここの家の子たちの背景について考える余裕もなくしてしまう。
人間としてまだまだだな…
たまに宮廷跡みたいなお墓のようなものが放ったらかしにされていて時代の凄みを感じた。

このときから旅の会話帳の索引で町の看板に書いてあるものの意味を調べるようにしていたがそれでもわからないことが多かった。
毛の風ってどういう意味よ。

途中昼ごはんを食べたあと、さらに30分かけて少数民族のところへ。
車を降りると向こうの方で太鼓の音楽がΣ(−□−)
村の人が通路をはさんで並んで出迎えてくれていた。シャンシャンポコポコいっている。
道の先には高床式倉庫+竪穴式住居みたいな家。あまりのウルルンさにカルチャーショック。
住居にin。ベトナムはかなり暑かったんだが家の中はかなり涼しい。
子どもたちが結婚式の踊りや豊作を祈る踊りを踊ってくれる。
最後は日本人もいれてもらう。飾りの剣を持たせてもらった。
交流タイム。男の子と一人仲良くなってなぜかひたすら腕相撲をしていた(笑)
初めて誰かと仲良くなったのでかなり感動。
再び一時間半かけて帰宅。行く時は話してて気づかなかったが
すごい道をありえないスピードで走っていて肝が冷えた。ガードレールが無いんですが…

夕食は日本食を聞いて楽しみにしていたら、
コロッケ、牛すじ、くしかつ、マカロニサラダとどうみても居酒屋のメニューだった。
| ベトナム記 | 21:47 | comments(0) | -
ベトナム三日目〜カウントダウン式信号機〜 
6時半起床。朝食はホテルでバイキング。
フランスパン(バインミィ)とベトナムコーヒーが美味しいと聞いていたので
選んでみるとこれがほんとにんまい。
特にベトナムコーヒーは人生で飲んだコーヒーの中で一番美味しかった。
この旅では飲む機会があったらコーヒーばっかり飲んでた。

今日は一日子どもの家。
昼ごはんをつくる予定だったので市場に買出しに行く。
がやがやしていて色んなモノが雑多に積まれていてカラフルで、
人が行きかってて店員がご飯食べてて(笑)
初めて見るはずなんだけどどっか懐かしい。

帰って芋蔓を洗ったり冬瓜の皮を剥いたり豚肉を切ったりした。
子どもと遊ぼうとするがうまくいかない。
どうしたらいいのかわからない。人と非言語コミュニケーションをする能力に欠けている。
お昼ごはんは今まで食べた中で一番美味しかった。家庭の味というか、あっさりめ。
子どもと一緒に食べるが習慣なのか全体的に静か。
昼に一端ホテルに戻り昼寝タイムが与えられるが、同室の子と散歩に行く。
数人で散歩に行くとシクロの勧誘がすごい。
シクロは日本の人力車みたいなものなんだが
ぼったくりがかなり多いため旅行情報誌でこぞって「シクロには気をつけろ」と言われている悲しい乗り物である。
で、歩くたんびに「シクロー!ワンダラー!」なわけである。
(今回の旅でおそらく一番発音がうまくなった単語はシクロである)
まぁ向こうも商売なので日本語喋れる人が多くて、話してて一番楽しいのはシクロのおじさんだっつう現実はある。

再び子どもの家へ。ゲームをしたり折り紙をしたり絵を描いたりするが、
やっぱり馴染めない。
そこの家の子どもに「日本の女は何で帽子をかぶってなよなよ歩くんだ」といわれる。
もう何とでも言え…
バカにされてるなぁ。傷つく。
ベトナムの人は道が狭いから平気で人を押しのけていくのも少し怖い。
帰りに皆がすごく楽しかったと言っているのを聞いて私は何が違うのだろうと思う。
皆はすごく子どもが好きなようだ。子どもとどう接したらいいのか知っている。
今日は反省の多い日だった。子どもは正直だ。
あたしみたいなへらへらしたのはすぐに見透かされてしまうのだろう。
| ベトナム記 | 21:26 | comments(0) | -
ベトナム二日目〜非言語コミュニケーション〜 
4時半モーニングコールにて起床。
5時半バスに乗ってフエ行きの飛行機に乗る。
2日連続で飛行機に乗るとは…
2時間弱でフエ着。
フエでお世話をしてくれる人々が出迎え。車でホテルへ。
今回一番お世話になるホアホンホテルへ。
中国風のまたしてもステキホテル。初めてウェルカムドリンクたるものを頂く。

車で今回の旅のメイン目的である児童養護施設子どもの家に行く。
ここを建てた小山先生のレクチャーのあと子どもが踊ったり何だり。
施設見学のち昼食。相変わらず量が多い。昼も夜もコース料理だ…
ホテルに戻って一時間ほど昼寝タイム。
ベトナムの習慣らしいがこれがなるほどありがたい。

車で日本語学校へ。日本語勉強中の女の子と話すが
どっちが何を勉強してるのかイマイチわからない。

どうしたらいいのかわからなかった質問↓
「シンカンセン ダレガ ツクッテマスカ」

「…大工?」

ドンバイ市場のアオザイ店に行く。綺麗な布がたくさんで
コスプレ好きとしてはかなり買っておきたかったが
明らかに誰も買わないブームだったので買えなかった…
(日本で着ないよね〜、みたいな)

ホテルに戻って夕飯まで時間があったので何人かで川沿いへ散歩に。
中国風の船がいっぱいある。
子どもが何人か遊んでいたので誰かが一緒に鬼ごっこを始める。
一人が風船を膨らまし始めてそれに子どもがわらわら群がる。
私は折り紙を取り出してみた。群がる群がる。あっという間に奪われた。
少し年長の女の子が「あたしが皆に配るからくれ」というジェスチャーをしたので託す。
りらっくまのメモ帳も同様にして奪われる。
皆もっとくれと騒ぐ。特に筆記用具をしつこくねだられる。
慣れてるのかなんなのか。少し悲しい。
ゲットしたメモ帳を渡されて折鶴を折ってくれと言われたのは嬉しかった。
唯一のレパートリーだからね☆
折り方を知ってる子もいた。日本人がよくここに来るのだろうか。
(だからねだるの慣れてるのかなー)

ここらの子は年の割りに体が小さくて
小学生にしか見えない子が15歳だったりした。

発展途上国と先進国てなんかなぁ。
とか考えたかったけど帰国してからもまだイマイチ考える気になれません。
なんだか印象深い一日。
| ベトナム記 | 21:14 | comments(0) | -
ベトナム一日目〜花粉症からの解放〜 
前日は無理せずに関西空港に着くように関空への無料シャトルが出てるワシントンホテルに母と宿泊。
初めてじゃ○んでネット予約したよ…二人で8700円くらいだった。
ちょっと泊まる分には十分すぎるくらい綺麗なとこ。
近場にショッピングセンター、ホテル内にもコンビニがあって手ぶらで旅行に行こうと思えば行けるような感じ。
外国人率高し。最早何人かもわからない人がたくさんいた。インド人…?

飛行機が怖い。ホテルにいるのもあいまって現実感が無い。
明日には死ぬのかなと半ば本気で思っていた(笑)

当日は6時半に起きる。ホテルのバイキングでご飯。
とりあえずしばらく食べられないであろう和食でそろえてみた。
隣りも後ろも外国人。多いよ!だから何人なんだよ!

8時40分の送迎バスもある。
9時集合だったので渋滞に巻き込まれかなり焦る。少し遅れて集合場所に到着。
両替所で2万円両替。結構もらえた。そして機内へ。腹決めたよ…
席に蓮の模様の入った毛布と小さい枕が沿えてあって良い香りがたきつけてある。
私はステキな心遣いだと思ったが他の人にはイマイチ不評だった。

離陸時手に汗びっしょり。
目をつぶってとりあえず現実から逃げてみようと思ったらテレビ画面に外の映像映ってて鬼かと思った。
しばらくすると緊張の反動かうとうとする。
フライトアテンダントが皆赤に白いズボンのアオザイですごく美人で
ほとんどベトナム語しか喋らない。
え、英語は!?英語喋らないの!?
この時点でベトナム英語がかなりわかりにくいことは何となくわかっていたが…
(最後にセンキューと言われて初めて今までのが英語だったとわかるくらい)

12時頃機内食。人生初機内食。かなり楽しみだった。
メニューをずいっと差し出される。何かを選ぶらしいが何がなんだかわからない。
何も喋らないFA。適当に指差したらマカロニグラタンになった。
スペアリブみたいなんもあったらしいが何でそっちになったのか…
マカロニグラタンなのにサイドに茶そばがあるという謎のラインナップを
ウーロン茶とともに頂く。
ずっと怖がってるわけにもいかないのでいい加減慣れたけどやっぱり揺れると怖い。

最後あたり飽きてきたものの現地時間14時半頃ホーチミン着。
日本との時差が2時間だから5〜6時間乗ってたことになる。
成田組とここで合流することになっていたので待っていある間
パークハイアットで勤めているらしいアオザイ姿のおねーさんと写真を撮る。
東京組と合流後バスでホテルへ。空港は静かすぎて逆に不安になるくらいだったが
外は異常なほどうるさい。原因はバイクだ。

噂には聞いていたがとにかくバイク。
GTOが大挙して現れても目立たないに違いないほどのバイクである。
3人〜4人乗り上等、グラサンにマスク(スカーフ)。暴走族か。
日本の会社が多い。SONYやらHONDAやらTOSHIBAやら。
ホテル着。エコノミーらしいが十分綺麗だった。
従業員のお兄ちゃんが英語でベトナム語を少し教えてくれたけど
イマイチ理解できず。というか最後までベトナム語ほとんど覚えられなかった。

*覚えたベトナム語*

シンチャーオ(こんにちは)
カームン(ありがとう)
シンローイ(ごめんなさい)
タムビェッ(さようなら)
トイテンラァ夜彦(わたしの名前は夜彦です)
ハイムォイ(20)(年令を聞かれた時に)
バンテンラージー?(名前はなんですかー?)(ただ名前を覚えたことはほとんどない)

一週間でこんだけだぜ…ベトナム語の覚えにくさと発音のしにくさは異常
ベトナム人のほうも日本語相当発音しにくいらしくザ☆片言みたいな人しかいなかった。
かなり喋れる人でも。
皆『日本語難しい』って言ってたしな。
でも日本人のベトナム語もあんな感じに聞こえてるんだろうな…

腕時計をしてたんだが空港到着時にストップ。21世紀ショックか!

ホーチミン散策。市場を見る。皆日本語片言ながら喋れてそんなに不便を感じない。
(「ヤスイ」「カッテ」「オネエサン」「カワイイ」「オッパッピー」(教えた奴出て来い))
日本の会社も多いし昔の日本に来たみたいだ。(バイク量除く)
ベトナムの女性は美人で服装がセクシー!
道路を渡るのにとにかくスキルが要る。不注意だと恐らく殺られる…

夕食は中華街で。量が明らかに多い。
ベトナムでは残すのが礼儀らしい(食べきると足りないことを意味するため)
ので残すがそれにしたって限度があるだろうという感じ。
ご飯はでっかいお皿にでーんと盛られたのをめいめい取り分ける。
レストランのお姉ちゃんが赤いボックスミニスカートでここにもバブル時代の日本の香りが。

市場は靴とかばんが可愛かった。
ファストフードはロッテリアが一番多くてケンタッキーもたまに見る。
ベトナムではバイクは6人までいけるらしい。
つい最近ヘルメットをかぶらないと罰金を取るようになったそうだ。


| ベトナム記 | 20:27 | comments(0) | -
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